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留学日記

このページでは私が留学準備に関して体験したことを日記形式でつづっていきます。留学する人もしない人も、トラブルあり、笑いあり、涙あり(?)…を一緒に感じてもらえればと思います。私ははたして無事に留学にたどり着けるんでしょうか・…
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 目次

留学前の準備編

1.留学決定まで
2.DS-2019取得まで〜事務とのやり取り
3.J1ビザ取得まで〜書類作成と面接
4.その他の準備〜航空券、お金、国際免許、もって行くもの
番外.英語の勉強
生活セットアップ編
1.住むところを決める〜アパートの決定
2.生活必需品の購入〜家具、車などの購入
3.ソーシャルセキュリティーナンバーの取得
4.自動車免許の取得〜車の保険、車の名義換え、筆記&本試験
5.電話の開設
6.テレビ、インターネットの開設


 留学前の準備編
1.留学決定まで
1999?
何もあてはなかったんですが、大学院を卒業したら留学することはずっと前から決めていました。あこがれというかそうするもんだと思っていたというか。いつから思い始めたかは記憶になけれど、研究室配属になる学部3年の春には研究室の先生に「留学します」といっていたのを覚えています。

2004/2/4

留学の話をいただく。
実はもうこんなに前から留学が決まっていました。もともと共同研究先だったので、ボスにメールで「来る?」といわれて「はい」と返事をしただけです。
でも、この日、めちゃめちゃうれしくて興奮して涙が出てきて眠れませんでした。
2.DS-2019取得まで〜事務とのやり取り
2004/11/3
来年4月留学まであと5ヶ月を切った。まだまだ時間がある気がしましたが、留学された方々に、ビザの取得(DS-2019の取得)に時間がかかる(数ヶ月)ので早く始めたほうがいいと言われたので、まずは留学先のボスにビザはどうしたらいいかとメールで相談しました。

2004/11/4

さっそく返事が返ってきて、事務に連絡したから書類を作ってもらうようにとのこと。そして、その直後に事務から直接メールが届きました。もちろん英語です…

2004/11/5
英語のメールを書くのは初めてなので、友達に礼儀みたいな事を教えてもらいました(留学情報ページを参照)。助手の先生には「英文手紙の書き方」という本を借りました。まあ、気楽に書けばいいらしいです。それでも、たった4行書くのに1時間かかりました。聞かれたのは簡単なこと、日本から来るのか、学生か、とかそんなもんで難しくはないんですが。先が思いやられる…

2004/11/16
あれから事務とメールを4〜5回やり取りしました。変な英語でも理解してくれることがわかったので、だんだん英語も適当になり…。
今日はFaxが届きました。フォームに必要事項(名前とか住所とか)を記入して送り返してほしいとのこと。

2004/11/19
Faxを送ろうと思ったら、送り方がわからない。国際電話なんてしたことないもん。
何も考えずそのまま相手の番号を入れました。(あたりまえだが届くはずはない。)そーいや、最初になんか入れないといけなかったなあ・・・あっ、001「ゼロ・ゼロ・ワンダフル」、と昔のCMを思い出しました。しかし、いまは001ではなく010に変わっていました。010を押してから国番号(アメリカは1)。そのあと相手の番号です。一応送られていったみたいだけど、ちゃんと届いたかな…。

2004/12/6
あれから一度もメールが来ない…。ちゃんと送られているのか心配になり、事務にメールを書いてみることにしました。いつ頃DS-2019をもらえるのか、とちょっと催促もしつつ…

2004/12/7
返事がきて、Faxは届いているとのこと。
しか〜し、それを大学のインターナショナルセンターに送ってくれないとDS-2019が作製されないのですが、「今週センターに送ります」と言われました。
もし私がメールしなかったら、そのままほって置かれたんじゃないのかなあ。sorryだって。
「ものすごく忙しかった」らしいですが(ほんとかな)。おかげでswampedという言葉を覚えました(笑)

2005/1/4
年も明けたし、心配になったので、また催促をしました。「いつもらえるか教えてください。面接の日にちを決めたいんで・・・」と。
直後にメールが返ってきて、「今日(インターナショナルセンター)に取りに行くよ!」とのこと。
ああ、よかった〜。まだ何もやってなかったらどうしようかと思った。

2005/1/11
でも、あれから1週間連絡がないので、またどうなってるか聞きました。
そうしたら、まだ書類はできていなくて、インターナショナルセンターでとまっているみたいでした。きたら連絡するからって。4月に来るんだよね?と言われました。まだ大丈夫でしょ〜って感じでした。。。
間に合うのか!?

2005/1/12
そのメールのお返事に「3月下旬にはもう日本を発つし、とにかくできるだけ早くほしい。」というようなことを書きました。

2005/1/14
事務からメールが来ました。できたのか?と一瞬期待したのだが・・・
「インターナショナルセンターから、あなたのパスポートのコピーがなくて作成できないといわれたので、Faxしてほしい」というメールでした。何で今頃になって??もう驚きと怒りがこみ上げてきましたが、そんなことよりはやく送らなければと思い、すぐにFaxを送りました。(最近パスポートを学校にも持ち歩いているので助かりました。)
ちゃんと送れていることの確認とすぐにインターナショナルセンターに送ってもらいたいということを伝えるために、直後にメールも送りました。
事務からはすぐにメールがあり、「パスポートのコピーは受け取った。ちゃんと渡します。ありがとう」とのこと。
いい方向で考えれば、私が催促したのでやっと作成を始めてくれたのかとも思う。

2005/1/31
また催促しました。「私の書類はどうなってるの?」「DSが届いてからもビザをもらうまでには時間がかかるので早くしてほしい。2月末に面接に行きたいから3週目までにほしい。」と伝えました。

2005/2/2
事務から「私の書類はインターナショナルセンターがやってる。連絡がきたらすぐ知らせるから。」とのこと。
それから「Faxであなたを雇うためのフォームを送るから記入して送り返してほしい」とのメールがありました。
Faxは9枚もあってこれに目を通して記入するのはまたたいへんだ。また、よく意味がわからなかったり(--;
とにかく実験そっちのけで記入してすぐFaxしました。そして、メールも入れました「チェックしてください。間違っていたら連絡ください。」。
そして、これを書いていて気になったことが。もしかして履歴書(CV)いる?? これもメールで聞きました。

2005/2/3
Yes, Please Fax meというお返事。困った、CVの書き方わかんね〜。急いで友達に「CVの書き方を教えて!」とメールを書きました。すぐにお返事を書いてくれて、彼のCVも添付してくれました。その間に、助手の先生にも書き方を聞き、見本を見せてもらいました。ほんと助かるわあ〜。これらを見ながら自分のCVを作成しました。今回は、もう特に自分を売り込まなくてはいけないというわけでもないので、簡潔にまとめました。
それから、昨日送ったフォーム、チェックしてくれて5ページ目を直して送りなおしてほしいとのこと。
これらをまとめてFaxしました。いつものように送った後にメールも書きました。また突然何か足りないとか言われるといやなので「ほかに必要なものはある?」と聞きました。

2005/2/4
メールがきました。CVについては何も言われなかったのでたぶんOKかな。
でも、最初に送ったフォームですが、1ページ目にも間違いがあるからそれも直して送りなおしてほしいといわれました。実は昨日来たメールの一部が理解できなかったんですが、このことだったんだと気づきました。抽象的に言われてたのでわからなかったんです。ごめん、Cathy。これを直してFaxし直しました。メールに「チェックしてくれてありがとう。昨日のメール理解できてなくてごめんなさい。」と書きました。
直後「受け取ったよ、ありがとう!!!」というお返事が来ました。
それから、昨日聞いたことついては「書類に必要なものはそろったよ」とのことでした。だといいけど。
今週、やり取り&書類作成にかなり疲れました・・・ 無事できてくれるといいけど・・・

2005/2/9
今週また催促しようと思ったのですが、ボスにお願いしてボスから催促してもらうことにしました。
すぐに事務に問い合わせてくれました。

2005/2/10
ボスからメールがきて、今日書類を送り出したとのことでした。
自分が言ってもなかなかもらえなかったのに、ボスの一言でできてくるとは・・・。ちょっと悲しいかな。
でもとにかくよかった。師匠、ありがとう!

2005/2/14
ついにDS-2019をGETしました!!
Cathy, Thank you!
3.J-1ビザ取得まで〜書類作成と面接
2004/12/21
DS-2019がまだ届かないけど、来たらすぐ申請できるように他の必要書類を準備しておこうと思い、ビザ代行センターに申し込みをしました。費用は8,700円。自分で作製できそうな気もしましたが、やはり不安だったので、お金を払っても依頼する方を選びました。申し込みはインターネットで必要事項を記入するだけです。

2004/12/22

昼にお金を振り込んだら、夜にはメールが届き、ビザに必要な書類(DS-156、DS-157、DS-158)の記入フォームとその書き方や見本がすべて送られてきました。やはり代行を頼んでよかった。やはり記入がわかりにくいところなどもあり、書き方が詳しく日本語で説明されているのがよかったです。

2004/12/28
書類の記入をしはじめました。が、わからないところもいくつかあり、それについてメールで質問をしました。年末の夜だというのに2時間後くらいにはお返事がきました。

2005/1/6
実験の合間にせかせか書類書きをし、やっと書き終えたので、これらをFaxでビザ代行センターに送りました。

2005/1/8
ビザ代行センターからもう作成できたというメールが来ました。はやいっ。まだDS-2019来ないからゆっくりでいいですよ〜。早くから始めたのにやっぱりDS-2019が律速段階だ・・・
あとはメールに添付された書類をチェックし、OKの返事を出せば宅急便で送ってくれます。ただし着払い(ケチいなあ、笑)。

2005/1/11

書類をチェックし3箇所訂正してもらっておくってもらえるようお願いしました。

2005/1/13
書類が宅急便で届きました。送料720円もかかった。普通郵便でいいのに。

2005/1/31
2月末にはDS-2019がもらえることを見越して、インターネットで面接予約を取りました。一ヶ月くらい先までは予約が埋まっていました。午後がよかったのに午前中しか取れませんでした。

2005/2/14
ついに苦労したDS-2019がきました(2章参照)。一応、名前等をチェックしました。

2005/2/17
インターネットでSEVIS費100ドルを払いました。半年前の申請まで必要なかったのに・・・

2005/2/21
ビザ作成料100ドル分を銀行に振り込みました。
円高のおかげで12月よりも1月、1月よりも2月が数百円安くなってました。ちょっとお得(^^;

2005/2/22
最後、証明写真。証明写真くらいすぐできると思って直前まで行かなかったのですが、いざとってもらいに行ったら断られる!サイズが大きいとか背景が白とか顔の大きさが・・・とか、とにかく条件が細かいんです。この辺で知っているところ2件行ったんですが、どっちもだめで、3件目へ。
行ってみると、すっごく狭い店で、陽気なおばちゃんが一人だけいて、だいじょうぶか?って感じでしたが、とってくれるとのこと。でも、スピード写真というわけに行かないので現像して明日といわれました。もう時間がない。普通だったら別に心配しないんだけど、どうもあのおばちゃんは心配でしかたがない。だいじょうぶか?

2005/2/23
次の日言われた時間に行ってみたら、手違いでどっかいっちゃったのよお〜、と平気で言われる!やっぱり大丈夫じゃなかった。。。
それでも、何とか夜までには見つかって間に合いました。よかったよかった。
こんなところでてこずるとは思わなかったなあ。

2005/2/24
電車の時間と大阪総領事館の場所をチェックしました。あとは忘れ物がないかチェック。

2005/2/25
ビザ面接
朝10時半の予約だったので、家は6時過ぎに出ることに。寝たらおきれないと思ったので、徹夜しました。電車の中では爆睡です。
大阪駅に着いてからどの改札を出ればいいのかわからず、駅員さんに聞きました、が、総領事館の場所は知らないとのこと。結局中央口から出ました(正解)。でも、大阪駅はほんとわかんない!駅出るまでにかなりうろうろしました。後は地図を見ながら行ったらほとんど迷うことはなかったです。駅を出てからは15-20分くらいで着きました。
10時20分には総領事館に着きました。建物に入る前に面接の予約表を見せました。中に入ったらすぐ荷物チェック。携帯や食べ物、ペットボトルなどは中に持ち込めないのでここであずけました。空港でするようなX線の荷物検査と身体検査を受けました。その後、左肩にシールを張られました。
そして、まず書類の不備がないかチェックを受けました。ここのおばちゃんがこわかった(笑)とにかく口調がすべて怒ってました。2人前の人が「写真が暗い。バックは白じゃないとはっきり写らないのよ!書いてあるでしょ!」といわれて、近くの写真屋にとり直しに行かされていました。写真よかった。
無事にここを通過すると、3階に行って1〜3番の窓口に書類を提出するように言われました。2番窓口が開いていてそこに書類を提出。その後、名前が呼ばれるまで座って待ちました。20〜30人くらいがいました。私はほとんど待たされず、すぐ名前が呼ばれました。
面接って個別の部屋でやると思っていたら、窓口だったんですね。私の前の人は家族連れで1歳の子供を抱いていたら面接中アメリカ人に飴をもらっていました。右の窓口で面接をした人の中には英語で話をしている人がいました。私は日本語(よかった、笑)。まず右手と左手の人差し指の指紋を取りました。その後、「何年行くのか」と「なんの研究をやるのか」聞かれました。「分子生物学」と答えたら通じなかったらしく、「それなんですか?」と言われたので、「molecular biology」と言いました。すると「はい、だいじょうぶですよ。ビザは一週間で届きます。」と言われて終わりました。所要時間1-2分。
降りて預けた荷物を受け取って帰りました。総領事館を出たのは10時40分。すべての所要時間20分。これだけのためにはるばる来たのか・・・

2005/3/1
ビザ(が張られたパスポート)が郵送されてきました。これで渡米できる!
ついにビザをGET!!
4.その他の準備〜航空券、お金、もって行くもの
2005/1/9
そろそろ渡米日を決めようと思いボスに相談のメールをしました。
ビザの書類では4月1日からプログラムに参加することにしていますが、それよりは少し早く行こうと思い(本当はもっと早く行きたかったんですが、こちらの片付けも終わらないので)、向こうの都合とも合わせて3月24日に立つことに決めました。

2005/1/11
さっそく飛行機のチケットを取ることに。インターネットで取るほうが安いと思うんですけど、とにかく今までそんなふうに海外に出たことがないので不安なこともあり、旅行会社(HIS)に行って取ってもらいました。
「お帰りは?」と聞かれて「いや、片道で・・・」。なんか変な気分でした。
ミシガン(デトロイト空港)には成田、関西、名古屋からノースウエスト航空の直行便で行けます。ユナイテッドは乗り換え、JALは飛んでないそうです。私は実家が浜松ということもあり名古屋からノースウエストで行くことにしました。まもなくできる「セントレア」です(笑)
なんか、いよいよって感じです。

2005/2/4
クレジットカード(三井住友VISAカード)とシティーバンクの申し込みをしました。

2005/2/15
わけあって(こちらでまだやることができて)、渡米日を4月中旬に変更することになりました。
もちろん、ボスにも了解を取りました。ちょっと余裕できたかも?でもやることできたから余計忙しいか?

2005/2/28
渡米日は4月11日にしました。飛行機チケットの変更をしました。2週間前までは変更手数料取られません。でも、まだ料金とか詳しいことはわからないんだそうです。なので予約表は後で送るとのこと。

2005/3/1
クレジットカードとシティーバンクのカードができてきました。

2005/3/25
飛行機のチケットの詳細についてまったく連絡が来ないので、旅行会社に行きました。どうやら忘れられていたみたい?料金は日にちを変えたら5000円ほど安くなっていて、キャッシュバックされることに。ラッキー!
それから、ついでにチケット引換券ももう、もらってきました。

2005/3/28
浜松(実家)からセントレアまでのバスを予約しました。

2005/4/1
研究室からミシガン大学の研究室あてにSAL便で荷物を送りました。必要なものはたいてい向こうで買うことができるという話なので、研究関係の本と辞書を送りました。どの本を送るか悩んだんですが、結局決められず、全部つめました。おかげで、思ったより重くて10キロ2箱になってしまい、3万円弱かかってしまいました。開いたスペースにアップラーメンとか好きなものをつめておきました。箱には「みずほの宝箱」と書いておきました(笑)
郵便局に持っていったら、箱に貼る伝票には何が何個入っているのか細かいことまで書かないといけないと言われ、いったん持ち帰って箱を開ける羽目になりました。
「宝箱」無事に届くことを祈ります・・・

2005/4/7
国際免許を取りました。免許証とパスポートと写真、印鑑を持って免許センターに行くだけで1時間くらいで発行してもらえました。

2005/4/7
銀行に行って円をドルに変えました。2500ドルずつ現金とトラベラーズチェックにしました。現金もチェックもいろんなセットが選べます。トラベラーズチェックは向こうで口座を開いて入れてしまう予定なので一番大きい100ドルで作りました。一枚ずつサインしないといけないので細かいと面倒になるので。現金は少し細かいものも用意しておきました。
番外編.英語の勉強
2002/8
学部のころから、留学は決め込んでいましたが、英語は高校のときから大の苦手です。受験さえ乗り切ればと思っていたのは間違いだったと今になって気づきました。
まだあてはないけど3年後と思いそろそろ何とかせねば・・・ということで駅前留学に通い始めました。
恥ずかしい話ですが、レベルは9段階で下から2番目(7B) でした。

2003/3

毎週日曜日にグループレッスン2レッスン受けるようにしていましたが、やっぱりどうしても英語を話すのが嫌いで、レッスンは常に緊張していましたし楽しくなく、ほとんどしゃべらないこともあって上達もしません。
それで、ついに行かなくなりました。

2003/4
でも、英語ができないと困るという気持ちだけはあったので、実験をやりながら英語を聞くことだけはやっていました。教材は昔とっていた通信教育とか(とっただけでやってない)。これはどうもよかったみたいで、半年後再び駅前留学に行ったとき「リスニング」だけはよくなってると不思議がられました。

2003/10
ちょっとしたきっかけがあって、再び駅前留学に行き始めました。しかし、たった一ヶ月でまた断念。

2004/2
ついに留学が決まったのでまた駅前留学に行き始めました。スタッフも私がすぐ来なくなるので、無理やりでも次のレッスンの予約を入れさせられるようになりました。ここから、私もグループレッスンはやめてマンツーマンにすることにしました。そうしたら、周りを気ににせずもう少し気楽に話せると思ったからです。

2004/7
あれからは毎週日曜日に必ず行っていますが、なかなか上達はしないし、イヤイヤという感じでした。
でも、最近よい先生たちに出会えました。「英語を話すのはこわい?」と聞かれて「うん」といったら「だいじょうぶだよ」といってくれました。彼らはとにかくおもしろくて、まず英語を話す楽しさを教えてくれました。このころからちょっとずつ楽しくなっていきました。

2004/11
英語はあんまり上達した感じはないけど、英語を話すこともこわくなくなって慣れてきたので、VOICEルームにはいってみることにしました。VOICEはフリートークの部屋です。この部屋に入るチケットを30枚も持っているのに、一度も入ったことがありませんでした。ほかの生徒さんもたくさんいますし、さらにレベルの違う人もいるのでなかなか勇気が要りました。
久しぶりにほかの生徒さんたちと一緒になり、また、ここに出入りする人たちはレベルの高い人たちが多く刺激を受けました。なかなかしゃべれませんがそれでも楽しくて、毎週日曜日この部屋に入るようになりました。
私にとって、「英語が楽しい」はかなりの進歩です。

2004/4/1
駅前留学最終日。レッスンチケットはこれで全部使い終わりました。レベルは最終的には6になりました。4くらいが海外で生活できるレベルなので足りないですが、これでいけるでしょうか?
どうなることやら、乞うご期待!
生活セットアップ編
1.住むところを決める〜アパートの決定
2005/3/19
アパートはミシガンに行ってから決めます。アメリカに着いて1日目は時間がないので、とりあえずその日はホテルに泊まることにしました。ホテルはボスにお願いして予約してもらいました。。

2005/4/11
ミシガンにお昼ごろつき、その足でボスと一緒にアパートを探しに行きました。日本のアパートとは違って広い敷地にたくさんの同じような建物が建っていて(テニスコートやプールもあったり)、その一角に日本でいう不動産がある感じでした。英語は何言っているのか理解できず、ボスに通訳してもらいました。というか、こっちの様子(標準的なもの)がわからないので、ほとんどボスに決めてもらいました。日本みたいにワンルームというのはほとんどなくて、だいたい1ベットルーム(8畳くらい?のへやと、リビング、キッチン)で広いです。私のいるアナーバーは治安がいいので、家賃は高くて800ドル前後が標準的なようでした。学校の近くがよかったのですが、あいにく開いていなくて、遠いところになってしまいましたが、きれいで静かなところで気に入りました。
すぐにはまだ入れないということで、デポジットに100ドル払って必要書類をもらって、今日は部屋の予約だけしてホテルに泊まりました。

2005/4/12
ホテルを延長しました。

2005/4/13
不動産屋に年間のお給料の証明書を提出しないといけないんです。へえ、日本では必要ないですよね。しかも、かなり高い金額が求められていて、ボスにちょっとごまかして作ってもらいました。今日はそれを持って不動産屋に行きました。うまくいけば明日か明後日には入れるとのこと。
ホテルを延長しました。

2005/4/14
不動産屋から電話があり、給料証明書の金額が足りないといわれました。ごまかしてもらったのにちょっと間違えてました。それで、銀行に残高証明をもらいに行ってそれを追加で提出しました。
ホテルは延長。さすがに言い方も覚えたうえ、フロントはいつも同じ人で言わなくても通じるようになりました(笑)

2005/4/15
不動産屋から電話があり、ついに鍵をもらえるとのこと!不動産屋に行くと分厚い契約書を一枚ずつ読み上げられ、サインさせられました。何いってるんだかよくわからなかったけど・・・。今日は鍵だけもらって、すぐ入っても何もないのでもう一日ホテルに泊まって、明日ちょうど土曜日なので生活必需品をそろえてアパートに入ることにしました。

2005/4/16
生活に最低限必要なものを買って、
ついにアパートに入りました!
2.生活必需品の購入〜家具、車などの購入
2005/1/11
生活のセットアップは向こうに行ってからするものだと思っていたし、セットアップのことなんかまだまったく考えていなかったんだけど、ボスが車の物件やムービングセールのメールを転送してくれました。
まだ日本にいるのにどうやって買えばいいんだろう、と思ったんですが、ボスが全部受け取って保管しておいてくれるとのこと。えっ、そこまでしていただけるんですか??

2005/1/18
中古車は10,000ドル以上するものがいいらしいですが、高くて買えないです。3000ドル以上のものならまあだいじょうぶだろうと言われているようです。あとは日本人から買うのがいいとのこと。
今回の物件は2500ドルくらいのものと10,000ドルくらいのものだったので、とりあえず保留・・・

2005/1/20
ムービングセールをやっている方にメールを送って、いくつかものをお願いしました。テレビ、ビデオ、炊飯器、電話、掃除機、食器類。ボスにもメールし受け取ってもらえるようにお願いしました。お金もボスが立て替えてくれるとのことです。感謝。

2005/2/10
ボスがムービングセールのものを取りに行ってくれました。布団をおまけでくれたそうです。
すべて、私が行くまでボスがあずかってくれます。
師匠、寒い中、忙しい中ありがとう。

2005/4/16
アパートも入れることが決まったので、ボスにスーパーに連れて行ってもらって生活に最低必要なものを買いに行きました。電子レンジ、布団、トイレットペーパー、洗剤、シャンプー、食材・・・
それから、ムービングセールで預かってもらっていたものを運び込みました。何かを買い忘れたりで、丸一日がかりでした。
部屋にはまだものがなくて、がらんとしていますが、とりあえず、生活はできるでしょう。

それから、バス停やいろんな店に張られているムービングセールのチラシを見てまわりました。日本食材を売っている店で車のいい物件(6800ドル)を見つけたので早速メールを書いてみました。

2005/4/18
車の問い合わせをした方からメールが来て、まだ売れていないから一度見に来てと連絡をいただきました。

2005/4/21
車を見に伺いました。私は車に詳しくないので、ボスに一緒に来てもらいました。車の状態も良くて、人もいい方ですぐに決めました。

2005/4/22
車の保険と名義換えするため(これらについては免許の項で)にもう一度家にお邪魔しました。金額もまけてもらって6000ドルにしていただきました。

2005/4/23
車を家まで届けて頂きました。
車もGET!!

2005/5/31
第2弾ムービングセール。こちらで出会った友達が帰国するということでベット、コーヒーテーブル、ライトなどを買いました。食器や鍋類、消耗品などなどもいろいろいただきました。ちょっと部屋らしくなった感じです。
3.ソーシャルセキュリティーナンバーの取得
2005/4/11
こちらに着いたその日に、まずすぐにセキュリティーオフィスに連れて行ってもらいソーシャルセキュリティーナンバーの申請をしました。オフィスの中に入るのに、身分証の提示、空港にあるような荷物検査をうけました。申請書のフォームに記入して窓口に提出すると、よくわからないけど2週間くらいで郵送されるとか言われました。
こちらではこの番号がかなり重要で、セットアップにもかなり必要になるようです。

2005/4/18
ボスに、電話をすればもっと早く番号は教えてもらえると言われたので、オフィスに電話して番号を聞いてみましたが、電話では教えられない、郵送のみですと言われました。

2005/4/25
2週間たったのにまだ届かないので、再びオフィスに出向きました。どうやら、全体的に遅れているみたいです。でも2週間たったので、カードの郵送はまだ先になるけど明日来たら番号は教えてくれるといわれました。

2005/4/27
番号を聞きにオフィスへ。
やっと番号をGET!

2005/5/8
ソーシャルセキュリティーカードが届きました。かなり大切らしいので、なくさないようにしないと。
4.車の免許取得まで
2005/4/16
店やバス停なんかにたくさん張られているムービングセールのチラシを見てまわりました。それで、日本人の方が車を売っていたのでメールしてみたところコンタクトが取れました。

2005/4/21
車を見に行きました。
車の状態も良くて、人もいい方で、お値段も予定通りで、問題なかったので決めました。

2005/4/22

車を買うには車の保険が必要で、その後、名義換えをしなくてはなりません。そこでまずAAAという保険屋に行きました。ところが保険に入るには州の(仮)免許がいるとのこと。
そこですぐに免許のテスト(筆記)を受けに行きました。ところがテストを受けたいといったら、住所を証明するものと、日本の免許証の翻訳がいるといわれました。翻訳は正式なものでなくてはならないとのことで、そういうのを扱っている事務所へ行ってお願いしました。行ったりきたりでかなりバタバタしました。何で免許取るのにこんなもんがいるんだか。

2005/4/25
先週金曜日免許の試験を受け損ねたので再度挑戦すべくオフィスに向かいました。免許証の翻訳も今日もらったし、住所の証明ももったし、今度こそと思ったのに、今度はソーシャルセキュリティーナンバーがないといって追い返されました。

2005/4/27
それから2日後、ソーシャルセキュリティーナンバーをもらいに行き、今度こそ免許の試験を受けに!ついにやっと試験を受けられました。
日本と違って試験はいつでも受けられて、問題をもらってそのへんの机で勝手に解いて(好きなだけ時間かけてよい)終わったらその場でチェックしてもらいます。点数が足りなかったら、またその場で受けれるらしいです。問題は日本語でも受けられます。結構勉強したと思ったのに40問中8問も間違えてしまって、落ちたかと思ったら“You passed”とか言われてよくわからないけど、通ったみたいです。こんなもんでいいのか。
その場で車の名義換えもしました。ナンバープレートももらって帰ってきて自分の車に取り付けました。

2005/5/
路上試験を受けるために、自動車学校に電話をして予約を取りました。

車の免許のテストを受けました。
自分の車を持って待ち合わせ場所の教会に行きました。昨日初めて会った友達が一緒についてきてくださって助かりました。しかもテスト中もtranslatorとしてついていてもらったおかげで安心できました。
テストはまず、教会の駐車場にたくさん赤いポールが立てられてひもを張られて、「停止線の直前で停止」「バックで車庫入れ」「縦列駐車」をするようにいわれました。なんかすごい緊張感でした(^^;それが合格するといよいよ道路に出ました。広めのちょっと混んでいる道路を走って、住宅街を走って、最後に高速道路に乗って教会に帰ってきました。とりあえず受かりました。よかったよかった(^^)
その足で、合格証をもってオフィスに行って免許申請をしました。
ついに免許をGET!
5.電話の開設
2005/4/30

ソーシャルセキュリティーナンバーも取れたので電話の開通をお願いするため電話をしました。いろんな個人情報を伝えてさらに身分証明書(パスポート)のコピーをFaxして送りました。ここまでは何とか順調。

2005/5/2
しかし、向こうからFaxの確認の電話がくるといっていたのにこない。。。ので、しかたなく再び電話をしてみました。すると「ソーシャルセキュリティーカードのコピーがFaxされていない」とかいわれたので、(番号だけは教えてもらったんですが)カードはまだもらってない、パスポートのコピーじゃだめなのか、とさんざん説明しオッケーをもらいました。やった・・・と思ったところ、そのあと言っていることがさっぱりわからない・・・何回も言い直してもらったんですが結局わからず、「英語がわかる人に電話してもらってくださいと言われました。くやしかったので、さらにがんばったんですが、どうにもだめでした。仕方なくあとでお師匠さんに頼んで電話してもらいました。

2005/5/9
電話が開通されたはずなのに電話がつながらない。受話器を上げても「プ〜」と音が鳴らない。
仕方がないので、また電話会社に電話をしました。「電話がつながらない」ということをいうと、またわ〜っと英語で話されて「プチッ」と切られました。そこで、またしかたなくお師匠さんに頼んで電話をかけてもらいました。電話会社が言うには開通しているとのこと、一応明日チェックしてくれるらしいが。

2005/5/10
しかしやはり翌日になっても電話がつながらない。一応チェックはしたらしく、アパートのドアに紙が挟まっていました。ということはアパートの中の電話線か何かが壊れているらしく、修理しなくてはなりません。そこで今度はアパートの管理人に修理をお願いしに行きました。管理人はわかったといって、電話会社に修理をお願いしてくれました。

2005/5/11
昼間ラボに電話会社から電話があって修理しにアパートに来ているから開けてくれといわれ、あわてて家に帰りました。修理っていってもものの1〜2分なにかやっただけです。が、ついに電話が開通!
こっちに来て1ヶ月電話もなく、電話を開通しようとしてから2週間(私にとっては)たいへんなやり取りをし、やっと手に入れた電話でうれしくて泣けてきてきました。
6.テレビ、インターネットの開設
2005/5/14
友達と一緒にモールにあるケーブルテレビの店comecastに行って契約をしました。インターネットもセットでお願いしました。

2005/5/25
ついにケーブルテレビもインストールされてテレビが見れるようになりました。
おっさんが来て線をつないでくれるんですが、もうとにかく、無事に終わってくれ〜、話しかけないでくれ〜って思ってました(笑)やっぱり途中でちょっとトラブったんですが(だから何いってんのかわかんないんだってっ)なんとか無事終了。テレビつけてみてって言われたのでつけたら、おお、映る!(当たり前か。)感激して「テレビが見れるよ!」って言ったら笑われました。

2005/5/28
インターネットも使えるようになったはずなんだけど、インストールしてラインをパソコンにつないでもなぜか使えない。わからず、師匠を呼びました。それでも、理由がわからず、師匠が電話して聞いてくれました。後でわかったことだけど、どうやら、電話をしないと使えるようにならないみたい。
やっと、インターネットも自由にできる!

最新更新日 2007年6月5日

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