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PROFILE

プロファイル

    名前     長谷川瑞穂 (はせがわみずほ)
    出身     静岡県浜松市
    現住所 ミシガン州アナーバー市
    誕生日 11月8日(さそり座) 自称21才 

    趣味     ダンス、あみぐるみ、音楽活動、動物好き
    資格     日本の薬剤師、アメリカ永住権、アメリカ調剤師


略歴
1991-1995     静岡県立浜松北高校
1996-2000     金沢大学薬学部
2000-2002     金沢大学自然科学研究科(博士前期過程) 放射薬品化学研究室(二階堂研)
               紫外線誘発DNA損傷の修復機構に関する研究
2002-2005        金沢大学医学系研究科(博士課程) 金沢大学がん研究所付属分子標的薬剤開発センター(須田研) 
               ASCを介したシグナル伝達の分子機構に関する研究
2005-2017      ミシガン大学医学部病理(ポスドク) (猪原研)
               Nodファミリーの分子機構の解析と生理的意義に関する研究

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研究者の立場から

研究者になりたいと思ったのは高校の時くらいかな。その頃は、研究者なんてどんなものなのかもわからなかったし、ただなんとなくあこがれてたというか実験が好きだったというかその程度?思えば子供の頃から理系だった、理科の成績だけは悪かった覚えがない。小学校の頃はよく虫を捕まえて遊んでいた(虫虐待?)。中学の頃は昼休みになると仲良しの理科の先生と実験室に行って遊んでいた(何やっていたのだろう)。高校のクラブは化学部に入っていた(でも帰宅部)。大学に入って初めて生物を習ってすごく感動してはまり、将来は生物の研究をやろうと思った。このころ偶然メールで、お師匠さん(お偉い研究者)に出会った。予定通り修士に進んだが、もう研究はやめようとめげかける(挫折?)でもなんとかいろんな励ましで復活し博士課程へ。ここではきびし〜い?(いや実はやさしい)須田先生のもとで研究。できの悪いひよっこなので迷惑かけまくったけれど、いつも熱く教えてくれてほんと感謝。研究はかなり大変でほとんど研究室で生活していたけど楽しかった。しかもなんと、大学1年のときに出会ったお師匠さんの影響を受けてお師匠さんと同じような興味を持って研究をし、お師匠さんと共同研究することに。そして大学院を修了後、ついにお師匠さんのもとへ。(師匠、ご迷惑おかけしてます)
まだまだひよっこで研究はなかなか思うように行かないけどこれからもめげずにがんばるよ。そのうちすごい発見するから楽しみに待ってて。

私の今の研究については
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ダンサーの立場から

ダンスを始めたのは2010年の夏。アメリカ人の友達に誘われて大学のswing danceクラブへ。それまでダンスなんてしようと考えたこともなかったんだけど、すぐにハマって、それから毎週クラスに行くようになった。1年くらいしてから、クラスだけじゃなくてsocial danceで踊るようにもなってさらに楽しくなった。パートナーはいなかったけど、いろんな人たちと踊るのはすごく楽しい。それから他のダンスにも興味が出てきて、今度はタンゴのクラスにも。その直後にサルサもやってみたくなって、サルサのクラスにも。週3日ダンス。また別の友達に誘われて、コントラダンス、スクエアダンスにもちょくちょく行った。ダンスを始めて2年くらいたったら自信も付いてきて、パフォーマンス(Swing dance)に出たり、屋外で知らない人たちの前で踊ったりするようにもなった。その頃から今度はBallroom danceクラブにも入って、他にもfoxtrot、チャチャ、ワルツ、ハッスル、、、といろんなダンスを習い中。まだ上手じゃないけど、とにかくダンスは最高!
そして、現在、ズンバにもはまっている。



ドラマーの立場から

ドラムを始めたのは大学院の時で、理由もないけど突然バンドをやりたくなって始めた。その頃はとくにZARDにはまっていたので、ZARDのコピーバンドをやろうと思ってメンバーを募集した。メンバー募集は楽器屋さんに張り出したり、雑誌に投稿したりして一般募集をした。当時のメンバーはみんなZARDファンでボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムの5人編成。バンド名は「Fountain」。泉という意味。ZARDの坂井泉水からとったもの。メンバー全員初心者だった。楽譜も読めない状態から始めて、楽器屋さんのスタッフに教えてもらい、励ましてもらいながら練習した。スタッフの方々ととても仲が良くなって、時間を延長して練習させてもらって店の裏口から帰ったこともよくある。おかげで結成3ヵ月でライブもした。それと同時にファンクラブも結成した(会員は最終的に100人弱)。2ヶ月に1回会報も出していた。ライブは小さなものから大きなものまであわせて5回ほどした。スタッフに無理して大会の予選を通してもらったこともある。2年経ってメンバーのひとりが県外に行ってしまったのでとりあえずFountainは解散した。

そのあと一部のメンバーと新しいメンバーを加えて「パイナップル・パフェ」を結成。このバンドではメンバーが足りなくてメンバーもよく入れ替わって、あまり活動できなかったが、倉木麻衣、IWiSH、大塚愛、ロードオブメジャーなどいろんな流行の曲をやった。2回ライブし、自分で作詞作曲したオリジナル曲も発表した。同時にたくさんのバンド友達ができたが、私の留学のため一時活動休止。

アメリカに行っても機会があればバンドをやりたい。

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詩人の立場から

初めて詩を書いたなあと思うのは中学1年のとき。そのとき詩を書くのが好きな友達がいて「こうかんにっき」ならぬ「こうかんし(?)」をやって毎回ノートに詩を書いて交換していた。中学卒業後はあまり書かなくなっちゃったけど、ぼちぼち書いて今は曲もつけている。ZARDのファンクラブ会報には何度か投稿して掲載された。このホームページにある「みちしるべ」と「またこの場所で会おう」は会報に掲載されたもの。大好きなZARDの会報だったのでうれしかったよ。

そういえば、微妙に同人誌(東大生中心のサークル)にも参加していた。ちょっと雰囲気が違うので、ここには載せてないけど。
今は「詞集メモ帳」を持ち歩いていていい言葉に出会ったときに書き留めるようにしている。人に「どんな気持ちでこんなのを書くの?」とか「本当にあった話?」と聞かれるけど、詩のとおりの出来事は実際存在しないよ。でも、いろんなときの出来事を組み合わせていたりはするかなあ。恋愛の詩とかも本当は友達とか周りの人たちのことを書いていていたりするんだけど、読む人が読めば恋愛のように思えたりとか、人それぞれの解釈ができるようなものを書けたらいいなあと思ってる。詩を読んでみんな元気になってがんばろうって思えるようなものを書きたいな。

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アメリカ永住者の立場から

大学2年の時に初めてアメリカに来た、3週間のホームステイ。初めての海外旅行だった。その時、またいつかアメリカに戻ってきたいと思った。結局、大学院を卒業してすぐアメリカに来た。すごくエキサイティングだったけど、実際には英語もしゃべれず、文化の違いも大きく、慣れるまではかなりたいへんだった。最初の1か月は鬱になりかけていて、日本に帰りたくて仕方がなかった。3ヶ月くらいしてやっとなんとか慣れてきた。半年くらいして落ち着き、そして、そのうち、会話サークルやボランティアやダンス・・・など、アメリカの活動に参加するようになった。
最初はまだずっとアメリカにいるかどうかは決めていなかった。気に入ったら残ってもいいなと思っていたくらい。3~4年して、日本に帰るなら今だな、と思いどっちにするか悩んだ末、やっぱりアメリカにいたいと思った。もちろん、アメリカのすべてがいいわけじゃない。どころか、英語や文化、外国人としての扱いを考えると、いい考えではないかもしれない。日本のほうがいいこともいっぱいある。でも、私は日本にいてどうも他の人とは外れているというか、うまくやっていけてなかった気がするんだよね。アメリカのほうがcomfortableに感じる。
そうと決めたら、英語もなんとかしなきゃいけない、と思いやっと勉強を始めた。未だに道のりは遠いけど・・・。
7年して、グリーンカードをとることを決意し、弁護士を雇って申請を始めた。1年ほどして、ついに永住権をゲット!
これからどんなアメリカ生活を送るのか、困難も多々あると思うけど、がんばって、楽しんでいきたい。

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文化の違いについてのブログ(英語)はこちらへ
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SAD(社交不安障害)の立場から

私は子供のときからSADだった。とにかく物心ついたときから、おとなしかったけど、ただそういう性格だと思っていたし、周りもみんなそう思っていた。もし、もっと早くSAだと気づいていたら、治療を受けていたら、今までずっとこんなにつらい気持ちでいなくてもよかったかもしれない、と時々思う。でも、あの頃はまだSADなんて知られていなかったし、もしわかっても簡単に医者にかかったりできなかったと思う。

SADじゃない人たちには、SADの人たちの気持ちを理解するのは難しいと思う。すごく些細なことでも緊張しちゃう。みんな緊張することはあるとは言うけど、また単なる緊張とは違うんだよ、それは恐怖。だって体が反応しちゃうから。予期不安で、何日も前から心配したり。日々何かにおびえてる。そして、そういう状況をどうにかして避けずにはいられないんだ。それでたくさん損もするし、生活に影響が出てくる。まわりにはただ「やる気がないんだ」「頑張りが足りないんだ」と思われてしまうけど、がんばろうと思っても本当にできないんだ。やる気がないんじゃないよ。人一倍がんばってるんだよ。頑張ろうとすればするほどよけいに不安になって悪化する。何でこんなに怖いのかな。何でこんなに不安になっちゃうんだろ。 言いたいことが言えない。仲良くしたいのにしゃべれない。プレゼンはおそろしく緊張してしゃべれない。単純なことを聞くこともできない。電話ができない。買い物のレジで緊張する。レストランで注文が怖い。コーヒーショップでコーヒーを買えない・・・その予期不安で何日も前から心配して。その恐怖のせいでその状況を避けてしまう。仕事や生活に支障が出てくる。

だいぶ経ってからSADのことを知
り、ついにクリニックに行くことを決心した。それ以来、グループセラピー(1時間半)、個別セラピー(50分)に週1、2回行っている。これまでに本当にいっぱいのセラピスト+医者にお世話になった。少しずつだけど進歩している。

私は一つ一つの小さな行動に、不安を感じて、それについてずっと考えたり、何とか抑えようとしたり、その状況を避けたりするのに、無駄にパワーを使っている。今まで別々のことだと思っていた出来事も実はつながっていて、SADのせいだったんだとわかった。私はSAD がこんなに自分に障害を与えているとは思っていなかった。だから、もし私がSADを治すことができたら、どんなに私の生活は楽になってもっと有意義な生活ができるだろうと思った。
克服は簡単ではなくて、治療は思ったより大変だし、思ったよりも時間がかかる。でも、今は少しずつでも治療が大変でも、がんばって治したいと思

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ZARDファンの立場から
2007年5月27日、私の大好きなZARDの泉水ちゃんがこの世を去りました。
ZARDに励まされた日々、勇気付けられたこと、ZARDのおかげでできたたくさんの出会い、思い出・・・。私はたくさんのものを泉水ちゃんにもらったよ。泉水ちゃんとともに成長して、それで今の自分があると思う。だから、今は「ありがとう」って言いたい。

単なるファンというより、あまりにZARDに狂っていたから、一時は周りからZARD教信者(坂井泉水教祖)と冗談で呼ばれていたこともありるほど(笑)
私がそんなにZARDを好きなのは、きれいな曲も共感する詩も透き通った歌声もあるけど、泉水ちゃんそのものが好きだ。もちろん実際どんなかわからないけど、でも、苦手なこと、不器用なこと、いろんなことが、ああ、私と一緒なんだなって思った。だから(勝手に)応援したいと思ったし、がんばっているんだなと思うと私もがんばろうと思えたんだ。私もできると思えた、大丈夫だよってやさしく背中を押されている感じがしたよ。だからいつもZARDの曲を聴いて、部屋にはポスターとかいっぱい飾って、雑誌の切抜きとかを持ち歩いて・・・。
それだけでがんばれる気がした。勇気付けられた。
ファンレターも当時けっこう出した。泉水ちゃんなら気持ちがわかってもらえると思ったから。読んでくれないよと言われたけど、書くだけでよかった。ファンクラブ会報にもたくさん投稿した。何度か載せてもらうこともできて、そのたびにすごくうれしかったよ。泉水ちゃんも見てくれた?
ZARD船上ライブ、私は同じアルバムを10枚ほど買って応募したけど、はずれ。もう悲しくて、当日ライブが行われる東京にとりあえず行ったよ。それから4年後、初のライブツアーで、私もついに泉水ちゃんに会うことができた。感動の涙。
泉水ちゃんのまねをしたくて、いつも似たようなTシャツを探したり、髪を伸ばして後ろでひとつでまとめたり。同じセーターを着たくて、自分でデザインして自分で編んだりもした。普段そんなことしない自分だけど、泉水ちゃんが着ているからという理由だけで作った「あなたを感じていたい」のセーター。私の卒業アルバムにもこのセーターを着て、同じポーズをした写真が載せられてるよ。青春の想い出はZARDなくしては語れないってことかな。ライブにもこのセーターを着ていったよ。
ZARDを通じて、いろんな人達とも知り合うことができた。掲示板やチャット、メールなどで知り合った全国のZARDファン。よく会いにいったし来てくれた。ZARDファンが集まって、ひたすらZARDの曲ばかり演奏したバンド(バンドの項で記載)。8時間のZARD全曲制覇カラオケもした。
泉水ちゃんをはじめ、そんな楽しい時間をくれたバンドメンバーや友達、ZARDファンの人達に感謝。

未だに泉水ちゃんがいないという実感がないだよね。でも、それでいいのかなと思ってる。だって、今までも、これからもかわらず、私の心の中にZARDがいる。どこかで泉水ちゃんが元気にがんばってるんだ。だから私もがんばるんだ。そう思っていてもいいかなと。

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